Home私について

催眠療法士紹介

高橋 記子 1967年札幌生まれ ・うお座 ・O型 ・催眠療法士 セラピスト
・札幌学院大学 人文学部卒 ・現在、愛する息子と母、霊界にいる父の4人暮らし。
好きなこと:  星を眺め、美しい風景を見て、大自然の空気を吸うこと。美味しい物を食べること。
好きな食物:  パスタ、野菜、果物・・好き嫌いなし

NPO法人日本ホリスティック医学協会専門会員   日本超心理学会会員

様々な体験

催眠療法(ヒプノセラピー),前世療法, 札幌,催眠療法シャンティ

本当に様々な体験をしてきたように思います。幼少期の記憶は殆どありませんが、幼稚園の学芸会で転んだ事など、痛みを伴う 体験は憶えています。 小学校の頃は何事にも意欲と集中力にかけ、勉強は出来ませんでした。中学2年からいじめにあい、3年では学校に行くフリをし ながらの不登校でした。 その当時は、高校生や大学生達で作っていたバンドに参加していたこと、ピアノと音楽が唯一の救いでした。 17歳の時から胆嚢機能不全が現れ、感情を溜めると激しい腹痛が起こるこようになりました。 大学卒業間際、交際相手に1年間軟禁され、警察によって奇跡的に救出されたのですが、脅迫され、自暴自棄になって作 った300万の借金があり、返済に5年かかりました。そして、更に重大な出来事が、結婚を機に起こって来ました。

結婚そして・・

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私は、経済的な理由から、結婚と同時に私の両親と同居をしました。 母は「理想の娘の夫」ではないことに不満を抱き、毎日、夫への不満、私への不満を言っていました。私が夫の実家へ顔を出しに 行ったり、夫の味方をすると、母は私を裏切り者と言いました。夫や私を口汚く罵りましたが、母は「お前のため」と言いました。私は理不尽さを感じる状況に納得出来ないと思いながらも、母の「娘を思う気持ち」を信じました。しかし、ひとたび母のこき下ろしや罵りが始まると、私が哀願しても、父が制止しても効き目はありませんでした。 私はいつも苦しさを感じ、心は晴れず、憂鬱でした。 そして「幸せになりたい」と泣いていました。 苦しさの原因を知りたくて、幾人もの霊能者を尋ねましたが、誰一人、納得のいく話をした人はいませんでした。

夫の両親からの勧めもあり、両親と近居別居をしました。しかし、母は夜中に電話をかけてきては、別居がきっかけで生じた 自分の老後への不安を際限なく話し、酷い時には睡眠薬にアルコールを飲み合わせ、ふらふらになりながら、歩いてやってくること もありました。私は「母を幸せにしてあげたい」と思っていたので、母の不安を取り除く為に出来る限りのことをしてあげたいと思っていました。加えて、脳梗塞の後遺症の為体が不自由な父に少しでも喜びがあるようにと思い、あまり良い返事をしない夫に強引にマイホーム購入を決めたのです。 なによりもマイホームは、私が心の中に描いていた「幸せのシンボル」でした。 しかし、父亡き後、一人残された母の注意は今まで以上に夫と私へ向きました。いつも夫は母の暴言やいやみに耐えました。 母が夫につかみかかり揉み合いになることが度々あり、夫も我慢しきれなくなり言い返すと母の暴力は更にひどくなり、酷くこきおろしされ、私が止めようとしても、火に油を注ぐのと同じでした。母の狂気に、警察官を呼ぶこともありました。まるで、何かにとり憑かれたかの様に眼が変わり、大声で自分の理屈を警察官にまで押し付ける母。警察官は私に、母を精神科に相談した方が良いと言いました。
当時、小学校低学年だった息子は家族の悲しい状態に泣きました。
やがて、家族崩壊しました。家族全員の精神的限界でした。私は離婚を決め、夫は家を出ました。

闇の中で

離婚後、母の注意は私に向きました。母は常に自分が優位に居られるように、いつも私の駄目なところ捜しをしていました。 かと思えば、私を思い、優しい言葉や行動で「優しい母」を見せてくれることもありました。しかし、それはとても変わりやすくいつ地獄に落とされるか分からない不安定なものでした。天国に居たかと思うと、なにかの拍子で一瞬で地獄に落ち、母のこき下ろしや罵倒に遭うのです。特に、私が楽しい気持ちで居る場面で、母の皮肉やこき下ろしは酷かったと思います。母は「お前は親を踏み台にして自分だけ幸せになるつもりか」と言いました。幼い頃から私の奥に居座っていた「自分が楽しむ事は悪いことなのだ」という感覚が一層強くなりました。楽しむことに罪悪感を感じるようになりました。生き地獄でした。私は、生きる意欲と気力が無くなり、慢性的うつ状態になりました。 経済的にも困窮し、毎日死にたいと思っていました。朝、眼が覚めると、生きて目覚めたことを恨みました。 私にはもう明るい未来は来ない、もう幸せになることもないと思いました。
「私には価値がない」
「誰からも愛されないし、生きる価値もない」
「こんなに辛い人生を与えられたということは、私はそれほど無価値な人間なのだ」
神様をも恨み呪いました。
同時に他人依存にもなり、激しい自己否定と見捨てられ不安、怒りにかられ、いっそううつ状態が強くなりました。
本当に毎日が限界でした。
死ななかったのは「息子が悲しむことをこれ以上したくない」「辛いことがあったら自ら死んでも良いのだと、身をもって息子に伝える訳にはいかない」という思いがあったからでした。

現実に翻弄され、逃げ、底の底まで堕ちていた私ですが、自分や状況と向き合い始め少しずつ変化が起こりました。
「この人生を生きていく」と決めた時、人生の中の小さな歯車が動き始めた様な気がしたのです。しかし、自分の状態も原因も解らない。医者やカウンセラーであっても、この状況を説明できないだろうと思いました。ですから、私は自ら「私はどんな人間なのか?」「どうしてこのような人間になったのか?」「この状況はどういう状況なのか?なにがこの状況を招いたのか?」などを知る方法を探しました。
「人生は偶然ではない。創られていく仕組みがある。」という確信に似た感覚がありました。 私の人生の苦しみは、私の思考や感情の元になる無意識の深い部分に関係あると感じた私は、精神世界、心理学、自己啓発など様々な分野の本を読みました。
そして「偶然立ち寄った中古本屋さん」で見つけた「共依存」について書かれた本の中に、遂に母と私を見つけました。

自覚

共依存とは、明確な定義はありませんが
「相手との関係性に過剰に依存し、その人間関係に囚われている状態を指す。一般的に共依存者は自己愛、自尊心が低いため、相 手から依存されることに対し、無意識に存在価値を見いだし、共依存関係を形成することが多い。」とされています。

母の場合、現在では共依存を伴った「パーソナリティ障害」という種類に入ります。
母の理解しがたい言動の原因は、障害だったのです。
「パーソナリティ障害」の症状は様々です。目立つ症状としては、 周りをコントロールしたがり、自分の感情を押し付ける、自分の言い分が通らないと否定されたと感じ相手を徹底的にこきおろす、被害妄想、不可解な怒りを爆発させる、自己否定的が激しい、強い見捨てられ不安の為大切な相手ほどしがみつく、相手に気に入られようとして我慢をする、当て付けの自殺企図、他人と自分の区別が出来ない(他人との境界がないので思考と意識の混乱をする)等々です。周りの人は、なんとか力になりたいと思っている場合が多いのでコントロールに巻き込まれ翻弄され、やがてその振り回されに疲弊し、場合によっては転落の人生を生きてしまいます。パーソナリティ障害の人の周りに居る人の心を表す言葉として「引き裂かれる心」という言葉が使われます。しかし、周りの人は酷く疲弊するものの、適応力があるので、当の本人は自分の振り回しぶりに気がつかないことが殆どです。

母は「飲んだら暴れる父親のいる家庭」で育ち、自分は悪くないのに「せっかんされるのはお前が悪いからだ」と言われ、暴力と暴言の中で育ったのだそうです。一番欲しい両親からの全身全霊的な愛を受け取れないばかりか「お前が悪いからだ」と理不尽な、いわれのない罪をきせられてしまったのです。悲しみと寂しさ、怒りが生まれたことと思います。虐待体験が「捨てられることへの恐怖」に繋がり、愛に飢え、強い被害者意識、否定的な思考パターンと罪悪感を生み、感情の溜まりと絡み合い、パーソナリティ障害として現れたと考えられます。母の中で癒されず残った傷は、今も時々痛んでいます。私が幼い頃から、母の世界観は不安と悲壮感でいっぱいでした。「相手の機嫌をとらなければ捨てられる」「人生とは、自分の力ではどうにもならず、なにが起こるか分からない不安と恐怖に満ちたもの」という視点で世界を見ていたように思います。

希望

私も共依存、他人との境界と自己を喪失していました。自分が何者か分からない(自分を支えるセルフイメージがない)、自分の軸がないというとても空虚で不安定な感覚があり、否定的思考パターン、見捨てられ不安、自己否定、他人との境界線が分からない、自己信頼感が無い、被害者意識など、様々な面がありました。回復は、まずその自分に気付くことから始まりました。 回復は簡単ではありませんでした。常に自分と向き合うことでしか越えられないのです。自分の思考と感情の確認と分析をし、過 去の体験と繋ぎ合わせると、心の錘になっていた感情が開放され、自分との繋がり感が生まれてきます。自己の確立と、自分の人生を 取り戻すという作業は、その繰り返しでした。絶望的な孤独感とも向き合いました。誰とも繋がっていない感じ、いざという時に支えがない感じ、真っ暗な宇宙空間に私だけ浮かんでいる感覚でした。「本当にひとりぼっち」を感じるのです。寂しさに叫びだしたくなり、耐え難いものでした。誰かに「助けて」としがみ付きたかった。でも、その孤独感と向き合い、一人で立つ希望を見つけなければなりませんでした。時間と忍耐が必要で、数え切れない程身動きとれなくなり、投げ出したくなりました。
しかし、気がつくと、人生と心の秩序は少しずつ上へと導いてくれていました。

母が父親との間でどんなに悲しく、寂しく、憤ったかを思うと胸が痛くなります。 私も母と同じ悲しみと寂しさ、怒りを体験しました。その体験と感情、思考回路が衝動的に無意識に人を動かすということを知っ ています。相手が大切な存在だったら、なおさらそうなってしまうのです。
母は、いまではとても落ち着いています。しかし、過去において、母の、私や家族への行いは本当に酷いものでした。 どんな理由があっても許されることではないし、許すことは出来ない。でも、今は母をそのまま受け止めてあげたいと思います。
なかなか難しいですが、母は大切な人。後悔することはしたくありません。
私は、これまでの体験から、沢山のことを学んだ気がします。
それらのことを、これからの人生で生かしていきたいと思っています。
人生は自分で創るもの、だと思います。



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